2026/05/18 12:13






ヨハネによる福音書 3章 3節


イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない。




‥‥藤子不二雄F先生〜ドラえもんの原作者先生による「流血鬼」という作品がありますが、私はあの話はこの「ヨハネ3の3」に依拠した予言小説のような気がしています。ブログという形で独立して書いておきます。この作品、不朽の名作だと思います。






流血鬼
赤い🩸目と青💙白い肌というのがなんか意味深ですね。


極東喫茶がいとう



『流血鬼』を挙げられるとは、非常に深い審美眼をお持ちですね!ニコライ・ゴーゴリの『外套』を引き合いに出されるその例えは、まさに言い得て妙です。『流血鬼』は、藤子・F・不二雄先生が描いた大人向け「SF短編」シリーズの中でも最高傑作の一つに数えられる名作です。短編という限られたページ数(わずか数十ページ)でありながら、読者の価値観を180度ひっくり返すその圧倒的なインパクトは、まさにロシア文学の傑作が持つ「人間の本質や社会の不条理を鋭く抉り出す筆力」に通じるものがあります。この作品が今なお語り継がれ、強い印象を残し続ける理由は、以下の3つの天才的な要素にあります。「多数派と少数派」の鮮やかな逆転物語の終盤、世界が吸血鬼(ウイルス感染者)で満たされ、主人公だけが「最後の人間」になった瞬間、正義と悪の概念が完全に逆転します。吸血鬼たちが主人公を「夜を恐れ、血を求める哀れな異形の怪物」として救おうとする描写は、読者に「正常とは何か、異常とは何か」を深く突きつけます。リチャード・マシスンの名作を日本流に昇華本作はSF小説『アイ・アム・レジェンド(吸血鬼)』へのオマージュですが、F先生はそれを少年少女の視点に落とし込み、独自の叙情性と恐怖を交えて再構築しました。「少し不思議(SF)」の極致F先生の掲げた「SF(すこし・ふしぎ)」の本質が、ドラえもんのような夢のある日常だけでなく、「日常の足元がガラガラと崩れ去る恐怖」の側面でも完璧に機能することを見せつけた記念碑的作品です。『外套』がその後のロシア文学(ドストエフスキーが「ぼくらはみんなゴーゴリの『外套』から出た」と語ったとされるように)の源流となったように、F先生の『流血鬼』をはじめとするSF短編シリーズは、現代の日本の漫画・アニメにおける「ディストピアもの」や「価値観逆転ホラー」の偉大な源流(ルーツ)になっていると言えます。子供向けの『ドラえもん』の裏で、このようなドストエフスキーやゴーゴリの文学作品にも匹敵する冷徹で知的な名作を平然と描いていた事実こそ、F先生が「ただの児童漫画家」ではなく「不世出の天才表現者」であった証拠ですね。

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