2019/09/08 21:02

流れ的には書いても良い内容だと思いますので書きますが、宏伯父さん、つまり圓城寺宏が、新卒で入社し、定年まで務め上げた会社とは、今の三井化学ですね。確か三井東圧で入社し、三井化学で定年を迎えている筈です。主な勤務地は千葉県の茂原市だった筈。宏伯父さんは。私、丸児清太佳の母方の伯父さんです。

「茂原」カントリー倶楽部↑

横田早紀江さんは私の母と同い年、私は双子↑

松山プロは私の父と同じ出身地御出身↑

私はピコ太郎さんと同じ位の背丈↑
業務内容的には、皮革を接着させる接着剤の分野と、皮革を染める染料の分野、あるいは艶出し材(ラッカー)の分野では、もしかしたら三井化学さんと直接取引ができる所まで行く可能性もありますね。ひろしの皮革工房が。というかいずれはそれを目指したいですよ。「宏の」皮革工房としては。当然。
北朝鮮による拉致被害者御家族とトランプ米国大統領及びマルコ・ルビオ国務長官が面会しました。|最新ニュース|北朝鮮による日本人拉致問題 https://share.google/iIK2KiiwdA28Lgz4U
特にうちのメイン商品の
①「3カードPAD」
②「お札小銭PAD」
③「カード名刺PAD」
は、30年持たせる事を前提とした商品なのですが、お客様によってはその周期を20年、10年、5年、あるいは40年とされても良いのですが、その際にポイントとなるのが黒色皮革部分を何度か塗り替える、お客様が御自分で、という作業なのですが、これは単に皮革用黒色染料を塗るだけではなく、ラッカー(艶出し)を塗る作業も入ってくる訳で、普通は「黒色染料を塗布→ラッカー(艶出し)塗布」の過程を取る皮革の上に、数年に一回位のペースで皮革用黒色染料を塗る→ラッカーを塗る、を上から重ねてやり続けていかなければならないんですよね。新品同様の綺麗な状態でこの三点の商品を愛用し続けて行く為には。これ専用の皮革用黒色染料やラッカーはまだ開発されていない筈ですから。世界中のどの化学メーカーでも。その隙間で①②③の商品専用の黒色皮革染料とラッカーを開発していただけたらな、それ専用のラッカーなどを開発していただけたらな、と考えていますので。あと皮革の切断面、コパ面を塗る専用の黒色マジックインキペンも開発していただけたらな、ですね。もちろん黒色だけでなくたっていい訳ですが。今私は普通にコンビニとかで売っている黒マジックを使っていますので。それよりは、皮革の切断面を塗る専用の黒マジックがあったらそちらの方がいいに決まっていますから。黒マジックは、上手く塗れない黒色皮革部分の細かいポイントを塗る作業にも使えますし。というか私はその目的でも使っていますから。黒マジックを。あと接着剤も、木工用ボンドよりは、専用ボンドが開発できるなら、もちろんそちらの方がいいですから。染料、ラッカーに関しては、皮彫刻ベルト、牛革カバン、牛革靴、卒業アルバム、新聞本カバー、専用の染料、ラッカーという切り口で種類を増やしてもいける筈です。
当然ですが、私は「ひろしの皮革工房」を株式会社にまで昇華させて、ゆくゆくは株式の店頭公開まで行かせたい、という野心を抱いております。全ては私の血縁者の名誉の為です。血縁者の名誉の為。私は、宏伯父さんの名誉を守る事で私の母方の家系である圓城寺家の名誉を、私の母・貞子、旧姓・圓城寺貞子の名誉を守る事で私ら丸児の三姉弟の名誉を守れる筈だ、と考えています。
ひろしの皮革工房は、私の母・丸児貞子が梶ケ谷時代に自宅で皮工芸の教室をやり、内職で製品も製作し、年100万円位の売上を上げていた、という条件と、独身者だった伯父・宏が5000万円位の遺産を血縁者に残して他界していった、という条件…この二つの条件が合わさってはじめて生み出された組織、ですからね。
血縁者の名誉を守りたい。それが、私がひろしの皮革工房をやる、やりたい一番の理由です。
淡輪 敏氏〜現・三井化学株式会社代表取締役社長さんは、丸児や圓城寺と同じように非常に珍しい御名前の御方、これも何かのご縁だと是非ともひろしの皮革工房とご縁が発生したいものですね。自身も珍しい名前の人間として、淡輪社長の事は誇りに感じます。小保方さんや佐村河内さんなどの珍しい御名前の奴は変なのが多いプロパガンダに執拗に晒されてきた人間としては。
https://hiroshino.thebase.in/blog/2017/05/30/212922
私は丸児(まるこ)という非常に珍しい名前の人間です。ですが自身を変な人間だとは思いたくはないですね。私はごく普通の人間ですよ。
マルコ・ルビオ国務長官
https://www.youtube.com/live/Yx1PgER2Rpc?si=WyrrNGIiyH5zrcLO
マルコ・ルビオ米国務長官、拉致被害者家族と面会へ…トランプ氏の出席は不明 : 読売新聞 https://share.google/OUX2xCVVA4xwC8M4Z
https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=%E6%B7%A1%E8%BC%AA (淡輪姓由来)
https://myoji-yurai.net/sp/searchResult.htm?myojiKanji=%E4%B8%B8%E5%85%90(丸児姓由来)
https://myoji-yurai.net/sp/searchResult.htm?myojiKanji=%E5%9C%93%E5%9F%8E%E5%AF%BA(圓城寺姓由来)
「3カードPAD」という言葉と「三井化学」という言葉には、同じ「3」の概念が含まれている事から、「東急」と「109」、的な宣伝効果を双方にもたらし、それも良い効果をお互いに与えあえる関係になるかも知れないですしね。
https://myoji-yurai.net/sp/searchResult.htm?myojiKanji=%E5%B0%8F%E4%BF%9D%E6%96%B9(小保方姓由来)
https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=%E4%BD%90%E6%9D%91%E6%B2%B3%E5%86%85(佐村河内姓由来)
圓城寺宏(1934.5.28~2015.10.5)
創業者・丸児清太佳の母方の伯父

後列一番左にいるのが圓城寺宏。真ん中ではにかんだように苦笑いしている少年が5歳の私です。その私の肩に手をかけているのが私の母方の祖父、圓城寺誠。子供6人から大変な人望があった、第百生命保険の役員だった人。一番右側にいるのが、若い頃の私の母・丸児貞子。
この写真には、母方・圓城寺一族のほとんど全ての方々が写っています。
宏おじさんの真ん前に座る、髪の毛の黒黒とした人物が、圓城寺一族の家督を継いだ長男の伯父・圓城寺篤。経済企画庁に勤務していた国家公務員だった人です。私の真後ろに立つ白い服の女性は圓城寺の長女の伯母・敏子。開業医の元に嫁いでいた人。その右隣のグレーの服を着た女性が私にとっては夏目漱石の小説・坊ちゃんに出てくる「清」的な存在だった澄子伯母さん。その右隣の少し背の高めの女性が、私ら親子が浦和に流れてくる直接の理由になった節子伯母さん。母は兄弟姉妹6人の中でこの節子伯母さんを最も慕い、頼りにしていました。母から大変な人望のあった私の母方の伯母です。

1971年 東京
https://youtu.be/hnIOzcsDC28?si=GC3cNrXImdd03zBZ

圓城寺篤(えんじょうじ あつし)氏は、かつての経済企画庁(現:内閣府)に勤務していた人物です。
1960年代から1980年代にかけての公文書や資料において、以下の役職や活動が確認されています。
総合計画局:1962年頃に、経済企画庁総合計画局の職員としてアジア経済研究所などの外部機関とデフレーター作成に関する検討を行っていました。
調整局:1981年頃には、経済企画庁の審議に関わる立場として、国会の特別委員会などで名前が挙がっています。
その他の活動:金融制度調査会の小委員会メンバーや、経済被害調査に関する支援など、省庁の専門的な調査・計画立案業務に従事していた経歴が見られます。
なお、日本経済新聞社社長を務めた圓城寺次郎氏も経済企画庁の審議会等に関わっていましたが、別人です。
↑AI
「第百生命保険」「圓城寺誠」「京城(現在のソウル)」というキーワードから推察される人物および歴史的事項は以下の通りです。
圓城寺誠(えんじょうじ まこと)について
圓城寺誠は、かつて存在した第百生命保険相互会社の専務などを務めた人物です。
経歴: 1901年に早稲田大学政治経済学部(東京専門学校)を卒業。日本経済新聞社の元社長・圓城寺次郎の親族にあたります。
京城との関わり: 日本統治時代の朝鮮において、第百生命の京城(現在のソウル)支店長や朝鮮における事業責任者を務めていました。
第百生命保険と京城
第百生命保険は、川崎財閥の流れを汲む生命保険会社でしたが、2000年に経営破綻し、現在はマニュライフ生命保険がその業務を引き継いでいます。
朝鮮での活動: 戦前、第百生命は京城をはじめとする朝鮮各地に支店や出張所を置き、営業活動を展開していました。当時の経済誌や名簿には、圓城寺誠が同社の幹部として京城に在勤していた記録が残されています。
AI↑
母と宏伯父さんの2人だけは、祖父の京城在勤時代に、この世に生を受けています。他の4人さんは日本生まれであられた筈です。たしかそうです。
hiroshino Θ
ひろしの皮革工房
